仙台・青葉まつりの紹介
仙台・青葉まつり
2007年07月08日
仙台・青葉まつり
新緑の杜の都を舞台にし、すずめ踊りや山鉾巡礼など豪華絢爛な歴史絵巻が繰り広げられます。
祭りの起源は、藩政時代に東照宮(現仙台市青葉区)の祭礼として始まった「仙台祭り」。交通事情などから途絶えてしまいましたが、1985年、伊達政宗公没後350年を機に「仙台・青葉まつり」として復活しました。
仙台・青葉まつり(せんだい・あおば-)は、毎年5月の第3日曜日とその前日の2日間、宮城県仙台市で開催される祭である。土曜日の宵まつりではすずめ踊りコンテスト、日曜日の本まつりでは、青葉神社神輿渡御、武者行列、山鉾巡行、すずめ踊りなどの時代絵巻行列をメインに開催される。
運行される山鉾は11台で、そのすべてが仙台市近辺の企業または団体によって運行されている。本まつり当日に東二番丁通、定禅寺通を巡行するほか、開催週の水曜日から一番町のアーケード街に展示されている。サイズはそれぞれ異なり、全長は5.2~6.2メートル、全高6メートル前後、重量5.5~8トンである。
仙台すずめ踊り(せんだいすずめおどり)とは、主に仙台・青葉まつりで踊られる踊りである。仙台を中心に多くの祭・イベントなどで披露されている。
すずめ踊りの歴史
仙台すずめ踊りの起源は、慶長8年(1603年)の仙台城完成の宴席で、石垣を築くために泉州・堺(大阪府堺市)から呼び寄せられていた石工たちが、仙台藩祖伊達政宗の前で踊った即興の踊りという説が一般的である。跳ね踊る姿が雀がえさをつつく姿に似ていたことや、伊達家の家紋が「竹に雀」であったことから「すずめ踊り」と名づけられたとされている(仙台・青葉まつり協賛会)。 その後、政宗が建立した大崎八幡神社の祭礼に奉納し続けられ、石切町(現在の仙台市青葉区八幡町周辺)の石工たちを中心に受け継がれていたが、第二次大戦後は一時途絶えた。
昭和36年、仙台市立第一中学校校長に就任した真山泰が体育の授業にすずめ踊りを取り入れ指導。雀おどり保存会が結成されるなど、復活の動きが一時活発化した。
昭和60年に仙台・青葉まつりが始まると、すずめ踊り伝承者の石工・黒田虎雄、作曲家・榊原光裕らの指導のもと、仙台・青葉まつり協賛会がすずめ踊りを現代風にアレンジし、市民の参加しやすい「仙台すずめ踊り」が完成。昭和62年の第3回仙台・青葉まつりから実際に踊られるようになった。翌年から仙台すずめ踊りコンテストも開催され17組、約300人が参加。その後、企業や市民の踊りグループが多数結成され、年々踊り手が増加しつつある。
一方、伝統的なすずめ踊りは、八幡町地区を中心に「正調すずめ踊り」として受け継がれている。
祭連
仙台すずめ踊りでは一つの踊りのグループの事を「祭連(まづら)」と呼ぶ。祭連は踊り方とお囃子方によって構成され、人数には特別決まりはなく、10人未満のものから100人を超えるものまでさまざまである。これらの祭連によって仙台すずめ踊り連盟が構成されているが、すべての祭連が加入しているというわけではない。
踊り
笛・鉦・大太鼓・小太鼓などの二拍子の伴奏に乗って踊る。基本の動きは、中腰でやや前かがみの姿勢で、両手には扇子を持ち体の前で8の字の形を描くように振り、足は二拍子に合わせて交差させるステップである。もともと即興の踊りであったことから、基本の動き以外は自由であり、祭連ごとにそれぞれの個性ある踊りが行われている。衣装は鯉口シャツの上に腹掛け、ハッピ。下半身は股引で、足は足袋または雪駄が一般的である。